出羽丸岡藩
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出羽丸岡藩(でわまるおかはん)は、江戸時代初期に出羽国田川郡(現在の山形県鶴岡市(旧・東田川郡櫛引町))に存在した藩。
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[編集] 藩史
寛永9年(1632年)6月、幕命により肥後国熊本藩主・加藤忠広は改易となり、庄内藩主・酒井忠勝預かりの身となったが、このとき忠広には1万石が与えられ、丸岡藩がここに成立した。しかし藩としての支配機構や支配権はほとんど無く、実質は庄内藩が藩政を支配していた。しかし忠勝は忠広を哀れに想い、毎年米100俵を支給していたと言われている。
忠広は承応2年(1653年)閏6月8日に死去し、ここに丸岡藩は廃藩となった。その後、丸岡領は天領、及び庄内藩領となったのである。
[編集] 歴代藩主
[編集] 加藤(かとう)家
1万石。外様。
- 加藤忠広(ただひろ)