Wikipedia:削除依頼/まちづくり戦士
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[編集] まちづくり戦士 - ノート
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議論の結果、削除 に決定しました。--Tietew 2007年2月27日 (火) 07:29 (UTC)
独自の研究結果の発表と考えられる。証拠として、インターネットで検索してもほとんどヒットしない。現状では百科事典の項目として相応しくないと考え、審議をお願いする次第です。 --M3HR 2006年9月19日 (火) 13:16 (UTC)
- (存続) *大館まちづくり協議会でも言及されているように、それなりに市民権を得た言葉だと思われます。--Slot28 2006年9月19日 (火) 13:35 (UTC)
- (コメント)検証性に難有り。本文からは某NPO法人からの出典と読めるが検索で出てくるのは関連性が薄そうな阪神大災害でのボランティア団体だったりであり、更に該当のNPO法人のwebサイトから現時点で記述を発見できない。現在の内容を裏付ける検証可能なソースが欲しい。--Lcs 2006年9月19日 (火) 13:58 (UTC)
- (削除)ノートでの議論などから判断して検証性の問題が解決できないと判断して削除票。--Lcs 2006年10月9日 (月) 02:36 (UTC)
- (削除)一般的でない。独自の研究。--Lemon pie 2006年9月19日 (火) 15:09 (UTC)
- (削除)定義が一般的ではない。独自の研究と思われる。 --yfuruhata 2006年9月19日 (火) 15:56 (UTC)
- (存続、まちづくりと統合)「まちづくり戦士」なる語自体が存在することは確認できるが市民権を得ているとは言いがたい。記述は、まちづくりへ市民が参加する経緯として内容があると思うので、現在の「まちづくり」の項目に加筆するのが良いと思う。--くにゃこ 2006年9月20日 (水) 03:24 (UTC)--下線部追加--くにゃこ 2006年10月1日 (日) 04:15 (UTC)
- (削除)依頼者票。項目名は虚構と言えるし、本文は検証性の問題があり、すべて削除が妥当。リダイレクトで項目名が残る統合にも反対。執筆者の信念から書かれたらしいが、ここは「まちづくり教」の布教の場ではない。現時点でこの項目の存在が認められれば、「ウィキペディア戦士」などという項目も多数許されてしまうのでは。--M3HR 2006年9月30日 (土) 14:48 (UTC)
- (存続)今回の論点は削除提案のケースEと判断してコメント。今回の問題は独自の研究、内容としての正確、不正確が検証可能か、百科辞典としての成長は不可能かということが判断基準になるはず。一つ目、独自の研究かどうか。これは学術的に客観化、一般化できるかどうかがポイント。学術的な地方自治論の範疇を逸脱したつもりはない。内容としての正確性については社会情勢を表わす学術を挙げるなどして客観的な判断を加えれば難しくない。百科事典としての成長について。今回の記事そのものは社会的にひとつの潮流があることを受けて記事化したもの。まちづくり戦士という概念そのものの問題をとらえて、削除提案とは少し乱暴。いずれにしても、提案者には削除依頼のケースEに照らした論点整理を求める。--Suifu 2006年10月8日 (日) 10:21 (UTC)
M3HR様はじめ皆様
初稿投稿者です。まちづくり戦士という概念が一般化しえるかという批判があること、甘んじてそのご指摘を受けなければならないことは確かであり、その意味で恥じ入る点もあります。合意形成では、削除提案は優勢であり、一定の合意の結果出された列論であればその結果に対して異論はありません。確かに、まちづくり戦士という概念は、まちづくりの背景となっている課題を意味するのに最もわかりやすかったのですが、一般化しきっているともいえない段階で項目名にあてたことは反省すべきだと考えます。この分野自体、依然として未発達な分野でもあり、筆者たる自分自身の感情移入があったことも否定できません。
しかし、項目名としての「まちづくり戦士」という項目名そのものの問題と、記事の中身の問題は別個であると考えます。まず、記事の趣旨としては、地域経営分野における「主体的市民」について書くことを目的としております。まちづくりの項目に移管できる部分はあるとしても、主体的市民を意味する項目自体は立派に独立した記事とすることは可能であると考えます。「主体的市民」「地域経営主体」「プロ市民」などは学術的な語彙としても用いられており、この項目を整理しなおすことで改善の可能性があると考えております。念のため、自分の立てた項目が可愛いから申しあげているのではなく、いわゆる一般的にいう市民と地方自治における主体としての市民を同列に述べることに、若干の無理が出てきたこと、地域社会の主体としての市民という存在が、いわば社会的になものとなったことを受けて書いたということがあるためです。ちなみに、まちづくり戦士という概念を項目とした理由としては、「企業戦士」と比喩された団塊の世代の大量定年が想定される時期と、地方分権の流れがマッチングした中で、これらの世代の人々のまちづくりへの参加が期待されたことから、新聞紙面その他でも使用されたことに拠ります。まちづくりの主体としての住民の特質を表わすのに、適当だと考えたためです。
ただ、削除されるにしてもその前提として申し上げると、今回の削除依頼はケースE 百科事典的でない記事という議論に該当し、論点は内容の正しさや不正確さを検証できるかどうか、独自の研究発表になっているかどうか、百科事典的な記事に成長する見込みのないものかどうかがポイントな筈です。合意形成の結果は尊重するといいましたが、この点を明らかにすることが前提であるべきだと思います。ちなみに、私なりの見解や調査ではなく地方分権の流れで一般化して概説している部分が前提となっているため、まず独自の研究にはあたらないということは鮮明にしておきたい。まして、宣伝でもありません。内容の正しさとして、少なくとも社会的な状況としては専門家の意見を待つまでもなく、社会調査等で地域社会の現状は明らかであり、まちづくり戦士の内容についての検証はけして不可能ではない。もし、まちづくり戦士という項目において百科事典的な記事への成長が見込めないとしても、それは何かしら置き換えは可能であるということは主張しておきたいと思います。そもそも、社会情勢の変化に応じて様々な概念が登場することはよくあることです。どこの時点で一般化したかという基準もあまり明確なものはありません。結局は 個々人の主観によるところも大きい。しかもです。削除提案はインターネットの検索でのヒット数が少ないことが理由のひとつとして挙げられている。およそ、専門用語として市民権を得たものであっても、ヒットしないものはしません。ネット検索のヒット数は問題や社会一般的な使用頻度は問題ではなくて、その概念そのものに、きちんとした定義がひとつないしいくつかあり、それが投稿者個人の主観や価値観、独自の研究によるものではなく、複数の主体による使用が確認されること、その概念に裏打ちされる事実が、学説ないし客観的事実として認められることが判断材料として検討されてしかるべきではないでしょうか。また、ウィキペディアの編集方針における一つの視点として、包摂主義という考え方があるように、私は安易な統合や削除が慣行化することはあまり好ましいことではなく、様々な可能性を含めて検討されることを望みます。
もし、今回の削除のポイントを踏まえて、やはり削除として合意なされるのであれば、私自身の欠陥も甘受すべき点があるので、その上の反対は致しません。--Suifu 2006年10月8日 (日) 12:51 (UTC)
- (削除)長期積み残し案件解消のため。Googleでの検索件数40件により「一般に普及していない言葉」と考える。--春野秋葉 2007年2月6日 (火) 23:00 (UTC)
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