前田利物
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前田 利物(まえだ としたね)は、加賀大聖寺藩の第7代藩主。
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時代 | 江戸時代中期から後期 | |||
生誕 | 宝暦10年1月17日(1760年3月4日) | |||
死没 | 天明8年9月27日(1788年10月26日) | |||
別名 | 虎次郎(幼名) | |||
戒名 | 覚成院 | |||
墓所 | 石川県加賀市の実性院 | |||
官位 | 従五位下、美濃守 | |||
藩 | 加賀大聖寺藩主 | |||
氏族 | 加賀前田氏 | |||
父母 | 父:前田利道、母:円成院 養父:前田利精 |
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兄弟 | 前田利貞、前田利精、前田利物 元三郎、前田利寧、前田利以、 前田利行、前田利幹 |
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妻 | 正室:前田利幸の娘・豊(桐陽院) 側室:梅芳院(前田氏) |
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子 | 前田利之、卯、瓊 養子:前田利考 |
宝暦10年(1760年)1月17日、第5代藩主・前田利道の三男として大聖寺で生まれる。天明2年(1782年)8月21日、第6代藩主で兄の利精が不行跡により強制隠居となり、兄の嫡子である利考も幼少のため、兄の養子となって家督を継いだ。兄時代の悪政を改めるために尽力したが、凶作が相次いで藩財政が悪化し、しかも利物自身も天明8年(1788年)9月27日に29歳の若さで死去してしまった。
兄・利精の嫡子・利考が養子として後を継いだ。
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