劉カイ
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[編集] 略伝
一説では、劉璝は劉焉の庶子で、益州牧の劉璋の弟とされる(同姓で、名も同じ王偏のために)。
212年に、劉備と戦って、大敗したとある。その後の彼の動向は不詳である。
一方、『演義』では、劉備がいかに危険性を持つ人物であるかを劉璋に説いて、蜀に入れないよう説くが聞き容れられなかった。その後、張任達と共に劉璋に反旗を翻した劉備軍と戦う。味方の戦死、降伏などで劣勢となっても頑強に抗戦を続けたが、部下の張翼によって殺害されてしまう。雒(らく)城は、張翼によって劉備軍に明け渡された。