加上説
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加上説(かじょうせつ)は、古代神話を解釈する仮説のひとつ。中国歴史学疑古派の顧頡剛(こけつごう、1893年-1980年)が提唱し、日本では富永仲基が1745年に刊行した出定後語において考え方は異なるがほぼ同じ説を立てている。
[編集] 概要
古代、小規模の氏族が多数並存していた状態から国家規模の政権が形成されるに至る過程において、征服や隷属以外にもさまざまな統合の形態があったと推測される。その中で、同盟に近い形で統合が行われるケースでは、それぞれの氏族が信奉する神を尊重しながら祭祀を継承する必要があった。加上説とは、主流派となる氏族の祭祀を続けつつ、置き場が無くなった非主流氏族の神を古い時代にあったものとして組み入れたものが古代神話に残っているという仮説である。顧頡剛は、三皇五帝のうち三皇が加上された周辺部族の神であるとし、中原の神は五帝から始まると主張した。
[編集] 関連項目
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