北山修
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北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、九州大学大学院人間環境学研究院教授。精神科医、精神分析家。京都府京都市の生まれ。洛星高等学校、京都府立医科大学医学部卒業。本業は精神医学であり音楽活動はあくまで副業である。
精神科医として『みんなの精神科』など多数出版。
イギリスの小児科医でのち、小児精神分析家に転進したウィニコット(Donald Winnicott)を日本に紹介したことで知られている。
2006年4月からは日本精神分析学会会長を務めている。
[編集] 音楽活動
学生時代は関西フォークブームの出発点となる「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバー。1970年前後のフォークブームでは関西、京都フォークの中心的人物の一人として活躍した。『戦争を知らない子供たち』『あの素晴しい愛をもう一度』『風』『花嫁』『レッツゴー!サザエさん』などの作詞でも有名。『さらば恋人』は堺正章の歌で大ヒットを記録。
特に1969年~1971年あたりまでの活躍は目覚ましく、全共闘世代の若者たちの精神的支柱、イコンでもあった。
その頃の著書に、『くたばれ芸能野郎』『戦争を知らない子供たち』『さすらい人の子守唄』『ピエロの唄』などがある。
音楽界から退いたのち、ロンドンに留学。ロンドン留学中に書きためた曲をアルバム『12枚の絵』として発表する。北山の歌手としてのファーストアルバムとなった同アルバムには、杉田二郎らが作曲などで参加している。
いったんは引退した音楽界ではあるがその後も時々、活動している。 1977年~1978年には「自切俳人〔ジキルハイド〕」の名前でニッポン放送「オールナイトニッポン」木曜1部のパーソナリティも務めた。
90年代にもヒューマンズー(現メンバー:北山修・平井宏・兼松豊・赤木一孝・松崎博彦・故坂庭省悟・進藤了彦・城田じゅんじ)というグループのメンバーとして音楽活動も継続していた。なお、ヒューマンズーのCDは坂庭の事務所が出していたが坂庭、城田を欠いた現状では継続は微妙である。
2002年の「ザ・フォーク・クルセダーズ新結成記念解散音楽會」に出演。
その後の音楽活動は見受けられず、季刊誌『西の旅』では精神科医としてコラムを掲載。2006年のザ・フォーク・クルセダーズ再結成コンサートで登場した「足柄金太」が北山ではないかと噂され、ステージを見た多くのファンもそう証言しているが、真相は不明。
[編集] 関連項目
- ザ・フォーク・クルセダーズ
- 加藤和彦
- はしだのりひこ
- 高石ともやとザ・ナターシャー・セブン
- 城田じゅんじ
- 坂庭省悟
- 自切俳人とヒューマンズー
- シモンズ
- ピンク・ピクルス
- ジローズ
- 杉田二郎
- ザ・ムッシュ
- 谷村新司
- 堺正章
- ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
- サザエさん