北条仲時
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北条仲時(ほうじょう なかとき、徳治元年(1306年) - 元弘3年/正慶2年5月9日(1333年6月20日))は、鎌倉幕府最後の六波羅探題(北方)である。北条氏極楽寺流の分かれ普恩寺流で、第13代執権の北条基時の子。子に北条友時がいる。越後守。
1330年(元徳2年)、六波羅探題北方となる。1331年(元弘元年)の元弘の変で、挙兵して笠置山(京都府相楽郡笠置町)に篭城した後醍醐天皇を攻め、天皇を隠岐島に配流する。
1333年(元弘3年/正慶2年)、後醍醐の綸旨を受けて挙兵に応じた足利尊氏(高氏)に六波羅を攻められ、六波羅探題南方の北条時益とともに、光厳天皇や花園上皇を伴って東国へ落ち延びようとしたが、道中の近江国(滋賀県)で野伏に襲われて時益は討死し、仲時は同国番場峠(滋賀県米原市)で再び野伏に襲われ、番場の蓮華寺で一族432人と共に自刃した。天皇と上皇は捕らえられて京都へ送り返された。