北条実政
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北条 実政(ほうじょう さねまさ、1249年(建長元年)-1302年12月26日(乾元元年12月7日))は、鎌倉時代中・後期の北条氏の一族。北条実時(金沢実時)の子。
通称は越後六郎。または、金沢実政。1275年(建治元)、元の襲来に備えて九州に下向する。翌年、父・実時の死去により家督と豊前国の守護職を継いだ。1283年(弘安6)旧暦9月8日に従五位上に叙し、上総介に任官。同年、長門国探題に任じられ、1296年(永仁4)7月に鎮西探題として赴任。このとき、肥前国と肥後国の守護も兼任している。1301年(正安3)9月、出家に伴って家督と探題職をはじめとする全てを子の北条政顕に譲っている。翌1302年12月7日、54歳で卒去。法号は実通。
父と同じく、幕府の要職を歴任して重用された、北条氏に欠かせない人物の一人であった。