北海道家庭学校
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社会福祉法人北海道家庭学校(ほっかいどうかていがっこう)は、北海道遠軽町にある家族小舎制の男子の児童自立支援施設(旧教護院)である。児童自立支援施設は触法少年・虞犯少年を教育・保護することを目的としている施設。矯正教育を目的とする少年院と異なり、児童福祉法上の支援を行う施設として位置づけられている。 1997年、児童福祉法の改正によりもとの教護院という名称から変更された。
鉄格子や塀や柵に囲まれ、施錠されていない「開放処遇」を形態としている。
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[編集] 特徴・特色
北海道家庭学校は、全国の児童自立支援施設の多くが地方公共団体によって設置運営されているのに対して社会福祉法人による経営が行われている。
436ヘクタールの広大な敷地内に寮舎、校舎、畑、牛舎、バター製造舎、礼拝堂、図書館などがある。生徒のいる小規模の寮舎に職員家族がともに住み込む小舎家族制を取っており、清掃・園芸・陶芸・木工・畑仕事・酪農作業などの労働体験を重視していることとあわせてこの施設の特徴となっている。
[編集] 設立
北海道家庭学校の創設者は留岡幸助である。
留岡は岡山県出身で同志社神学校を卒業後、北海道空知監獄の教誨師になり渡米経験のあと、巣鴨監獄の教誨師となった。少年期教育が犯罪抑止のために必要と考え、東京巣鴨に「巣鴨家庭学校」を設立した。
留岡は「流汗鍛錬」を信条とし、自然の中で農作業等の労働体験を通じて感化事業を行うという構想実現のため、内務省から北海道遠軽町の国有地の払い下げを受け、巣鴨家庭学校の分校として1914年(大正3年)に北海道家庭学校を設立した。
払い下げられた土地を周辺の農民に分配し、小作料収入で事業をまかない、地域住民との協力のもと、運営が続けられた。
世間では戦後小作地は売却され農地解放といわれたが、北海道家庭学校では戦前の昭和14年から小作地を売却し、運営資金と人材不足に悩まされながらも少年教育と地域の社会活動に役割を果たしてきた。学校の建物の中には大正から昭和初期の近代建築様式を今に伝える物として評価を受けるものもある。
[編集] 歴代校長
- 初代 留岡幸助
- 第二代 牧野虎次
- 第三代 今井新太郎
- 第四代 留岡清男
- 第五代 谷昌恒
- 第六代 小田島好信
[編集] 関連文献
- 花島政三郎『サナプチの子ら 北海道家庭学校の生活』 評論社 1978年 ISBN 4566051099
- 谷昌恒『ひとむれ(第1集) 北海道家庭学校の教育』 評論社 1990年 ISBN 4566051048
- 谷昌恒『ひとむれ(第1集) 北海道家庭学校の教育』 評論社 1990年 ISBN 4566051048
- 谷昌恒『教育の心を問いつづけて 北海道家庭学校の実践』 岩波書店 1991年 ISBN 4000031252
- 谷昌恒『森のチャペルに集う子ら北海道家庭学校のこと』 日本基督教団出版局 1993年 ISBN 4818401161
- 藤田俊二『まして人生が旅ならば 北海道家庭学校卒業生を訪ねて』 教育史料出版 2001年 ISBN 4876524122
- 藤井常文『北海道家庭学校と留岡清男 創立者・留岡幸助を引き継いで』 三学出版 2003年 ISBN 4921134561
[編集] 外部リンク
- 北海道家庭学校 - 公式サイト