千葉直重
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千葉 直重(ちば なおしげ、生年未詳 - 寛永4年3月1日(1627年4月16日)は、戦国時代の武将で、北条氏政の子。母は武田信玄の娘、黄梅院。妻は千葉邦胤娘、市原如雪妹。子に十三郎。養子に大石重昌。法名は即室謙入居士。
初め、叔父北条氏照の養子になったが、千葉邦胤の死後、氏政の命によって千葉氏の家督を継ぐ。小田原征伐には、小田原城に籠った。その後豊臣秀吉の命で兄北条氏直が高野山に蟄居したときは同行している。蟄居が解かれると蜂須賀家政に仕え、知行500石を与えられている。
なお、彼の子ども(如雪との間に生まれた)十三郎は早世したため、蜂須賀氏家臣益田豊正の三男重昌を婿養子に迎え、大石重昌と称させて家督を継承し、子孫は代々蜂須賀家に仕えた。ちなみにその三代後の直武から、伊勢氏を称している。
直重を氏政の子とする説については黒田基樹の研究によるところが大きいが、近年朝野雅文は「寛政重修諸家譜」の記事を根拠として直重を北条氏康の子として、千葉親胤の暗殺後に氏康と千葉氏重臣の工作により千葉利胤の娘を娶って家督を継いだものの、千葉胤富擁立派に敗れて北条家に戻った後に実兄である氏照の養子になったものであるとする異説が唱えられている。
[編集] 参考文献
- 黒田基樹『戦国 北条一族』(新人物往来社、2005年) ISBN 440403251X
- 朝野雅文『最後の千葉介』(北総史学研究所、2005年)