千貫樋
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千貫樋 (せんがんどい)は静岡県三島市と静岡県駿東郡清水町を跨ぐ鉄筋コンクリート製の樋である。
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[編集] 概要
その昔、農業用水を引く為に伊豆と駿河の境を田畑より低い地を流れる境川の上に架けられた樋で、全長42.7m、幅1.9m、深さ0.45mで、地上より4.2mの高さを流れる。 稲作シーズンが終わると、三島市加屋町内に設置された水門により水が堰き止められ、水は流れない。
創設時期については諸説であるが、天文24年(1555年)今川、武田、北条の三家の和睦が成立したとき北条氏康から今川氏真に聟引出物として楽寿園の小浜池から長堤(蓮沼川)を築き、その水を駿河に疎通させたというのが一般に言われている。 この疎水により、駿河側である現在の駿東郡清水町の新宿、玉川、伏見、八幡、長沢、柿田の田畑約130haが多大な恩恵を受けるに至ったとのこと。
樋ははじめ木樋だった為、江戸時代に江戸の田中丘偶(たなかきゅうぐう)という人が修理のために招かれたという記録が残っており、大切にされていた様子が伺える。 しかし、その木樋の初代千貫樋も大正12年(1923年)の関東大震災で崩落したため、その後の復興で鉄筋コンクリートで再建され、今日に至っている。
[編集] 創設にまつわる異説
[編集] 樋名の由来(説)
- 架設が巧みな為、銭千貫に価する。
- 用水が高千貫の田畑を潤している。
- 建設費が銭千貫を費やした。
等が命名の由来と伝えられている。
[編集] 現状
以前は静岡県道145号沼津三島線を歩けば東西に延びる千貫樋と伊豆箱根鉄道軌道線の線路跡だった盛り土を見ることが出来たが、現在は静岡ガスのショップと無認可託児所が景観を妨げている。
また、再建後80年余りの月日が経過し、漏水や鉄筋の腐食によるコンクリートの崩落が目立つようになり、今後が危ぶまれている。昨今、樋の下で遊ぶ子供達が増え、郷土資料としてだけではなく耐震強度の面からも保存管理の必要性がでてきている。
[編集] 見学方法
千貫樋と平行して架かる旧道の境川橋の上から見る者が多いが、旧道の加屋町バス停及び千貫樋バス停間のタバコの自動販売機正面の路地を入り、加屋町町内会倉庫裏へ回ると説明文と全貌が見られる。
[編集] 千貫樋関連施設
※上記バス停は静岡県道145号沼津三島線沿いにある。交通手段としては三島駅・沼津駅より『旧道経由』乗車。