南条元忠
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南条元忠(なんじょうもとただ、? - 慶長19年12月3日(1615年1月2日))は、安土桃山時代の武将。伯耆羽衣石城主。官位は中務大夫。忠成ともいう。南条元続の子。
天正19年(1591年)、父の死去に伴い家督を継ぐが幼少であったため、朝鮮出兵には叔父の小鴨元清が参加。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍につき、伏見城・大津城を攻めたが、西軍が敗れ、浪人となる。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では、旧臣とともに大坂入城、平野橋口で3000人の兵を与えられる。東軍の藤堂高虎の誘いを受け、伯耆一国を条件に東軍に寝返ろうとするも、渡辺糺に見破られ、城内千畳敷で切腹させられる。墓は鳥取県倉吉市定光寺にある。
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