南泉普願
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南泉普願(なんせん ふがん, 748年 - 835年)は、中国唐代の禅僧。
俗姓は王氏、鄭州新鄭(河南省)の人である。
757年(至徳2年)、10歳で新鄭にある大隗山の大慧禅師に入門し、仏道修行に励んだ。
777年(大暦12年)、30歳で中岳嵩山に行き、具足戒を受け、会善寺の暠律師について四分律を学んだ。その後も学問を続け、経は『楞伽経』や『華厳経』を学び、論は三論を学んだ。
後に、馬祖道一に入門し、教学を捨てるに至った。
795年(貞元11年)、48歳で池州貴池(安徽省)の南泉山に禅院を構え、30数年間、南泉を下ることがなかった。
827年頃、宣歙観察使の陸亘の求めによって山を下り、名声が諸方にとどろき、門弟が数百になった。
835年(太和8年)12月25日、住院で没する。春秋87、法臘58。
[編集] 伝記資料
師:馬祖道一 | 禅宗 | 弟子:趙州従シン |