咸陽市
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咸陽(かんよう)は、中国陝西省の都市(地級市)。かつては秦王朝の首都として大いに栄えた。風水においては山の南、河の北が陽になる。この都市は九嵕山(きゅうそうざん)の南、渭水の北に当たり「咸(みな)陽」なためにこの名前がついた。
紀元前352年に孝公が咸陽城をつくって都をここに移した。その後、始皇帝により阿房宮造営の大規模な工事が行われ当時としては稀な巨大都市になっていった。始皇帝死後も工事は続けられたが、二世皇帝胡亥・三世子嬰の代になっても阿房宮は未完成のままであった。紀元前206年に阿房宮は項羽により焼き払われたというのが、現代までの定説であったが、2003年に焼き払われてはいないと言う説も登場した。
現在、人口約480万人。千葉県成田市と友好都市提携を結んでいる。
[編集] 行政区画
- 市轄区:秦都区、渭城区、楊凌区
- 県級市:興平市
- 県:武功県、禮泉県、乾県、涇陽県、三原県、永壽県、彬県、長武県、旬邑県、淳化県
[編集] 外部リンク
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