唐牛敏世
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唐牛 敏世(かろうじ びんせい、1879年8月15日 - 1979年1月19日)は旧・弘前相互銀行社長、みちのく銀行初代頭取。初の地方銀行と相互銀行の合併を実現させた立役者の一人である。
相互銀行では地位が低いと考えていたこともあり、当時の地銀下位だった青和銀行の吸収合併をねらい、当時東京支店長だった後の会長・大道寺小三郎とともに、地方銀行転換を図った。
大蔵省をはじめとする当時の政府は、中小企業向けの金融機関がなくなることを危惧して相互銀行の地方銀行への転換を認めないスタンスでいたが、大道寺が時の総理大臣や閣僚に折衝を行った結果、青和銀行を存続会社とすることで合併が認められる(そのため、厳密には業態転換にはならなかったため、初の業態転換となるのは1984年の西日本相互銀行(業態転換後は西日本銀行、現・西日本シティ銀行)となる)とともに、みちのく銀行の初代頭取に就任する運びとなった。
この時点で、唐牛は97歳であり、きわめて異例のトップとなった。このことが、後の大道寺の長期政権の元凶となり、「唐牛が逝去した99才でも現役で頭取だったのだから、自分に出来ないはずがない」と大道寺は考えるようになり、暗に考えていた引退を撤回し、2005年の顧客情報紛失事件の引責辞任まで頭取・会長とおしで19年というトップの座に居座ることになる。
[編集] 略歴
- 1976年 みちのく銀行代表取締役頭取