垣屋続成
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垣屋 続成(かきや つぐなり、文明14年(1482年)? - 元亀元年(1570年)は山名氏に仕え、「山名四天王」と呼ばれた重臣の一人。男性。但馬国の国人。信頼が厚く文亀9年(1502年) から但馬守護職を務めた。永正9年(1512年) 、居城を鶴ヶ峰城に移し、ここを垣屋の拠点した。
また子は垣屋氏系図から垣屋光成とされているが、文献が65年開いているため、その間に垣屋続貫(つぐつら)(垣屋続実(つぐざね)は通称)という子がいたのではないかという説もある。
晩年は同じ「山名四天王」である田結庄是義と、織田信長の天下統一に置ける主君・山名氏の同盟先を織田家と毛利家どちらかにするかで二つに割れ、毛利家と表明。そのため対立し、是義の奇襲を受け、岩井村養寿院で自刃。