堀直景
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堀 直景(ほり なおかげ、慶長9年(1604年) - 延宝3年2月18日(1675年3月14日))は江戸時代の大名で、上総苅谷藩初代藩主。直之系堀家初代。江戸町奉行・寺社奉行を務め9500石を領した堀直之の長男。母は柴田勝全の娘。正室は戸川達安の娘、継室は内藤忠興の養女(西尾直数の娘?)。子は堀直良(長男)、堀直行(次男)、堀直定(三男)。通称、右衛門太郎、三右衛門。従五位下、式部少輔。
元和7年(1621年)書院番となり、新地500石を賜る。寛永7年(1630年)使番に転じ、500石加増(計1000石)。寛永10年(1633年)、さらに1000石を加増され計2000石を領した。寛永19年(1642年)、父の死により遺領9500石を相続。自領2000石のうち500石(1500石は末弟・堀直氏が継承)を合わせて1万石とし、上総苅谷藩を立藩する。寛文8年(1668年)家督を長男・直良に譲って隠居した。延宝3年(1675年)死去。
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