大久保忠保
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大久保 忠保(おおくぼ ただやす、寛政3年5月27日(1791年6月28日) - 嘉永元年9月5日(1848年10月1日)は、江戸時代後期の大名。下野烏山藩6代藩主。5代藩主大久保忠成の長男。母は大久保忠喜の娘。正室は水野忠光の娘、継室は立花鑑寿の娘。子に忠寿、忠美、戸田忠養、娘(稲垣太篤室)。官位は従五位下近江守。
文政10年(1827年)、父の隠居に伴い家督を相続。嘉永元年(1848年)9月5日(10月18日とも)、父に先立ち58歳で没した。後は三男の忠美が継いだ。
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