大田原典清
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大田原 典清(おおたわら のりきよ)は、江戸時代の大名。下野大田原藩の第4代藩主。
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時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 明暦3年(1657年) | |||
死没 | 元禄7年6月21日(1694年8月11日) | |||
別名 | 織田長清、織田雄清(別名) | |||
戒名 | 月鏡院殿真光不昧大居士 | |||
官位 | 従五位下、備前守 | |||
藩 | 下野大田原藩主 | |||
氏族 | 大田原氏、織田氏 | |||
父母 | 父:織田政時、母:織田高長の娘 養父:大田原高清、養母:牧野定成の娘 |
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妻 | 正室:大田原高清の娘 | |||
子 | 大田原純清、娘(谷衛憑室)ほか4女 |
明暦3年(1657年)、大和戒重藩主・織田長政の次男政時の長男として生まれる。延宝2年(1674年)7月23日に先代の藩主・高清の婿養子となる。延宝3年(1675年)12月26日に叙任し、延宝5年(1677年)9月25日に高清が幕命により隠居となると、その後を継いで藩主となる。しかし養父より先立って元禄7年(1694年)6月21日に死去した。享年38。墓所は東京都港区の泉岳寺。
後を子の純清が継いだ。
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