大阪姉妹殺害事件
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大阪姉妹殺害事件とは大阪市浪速区のマンションで2005年11月17日に、飲食店店員の姉妹が刺殺された事件である。
[編集] 事件の概要
加害者は中学生時代に同級生から「悪魔」と呼ばれていた。加害者は中学卒業後山口市内の自宅アパートで2000年7月29日に金属バットで母親を殺害した。当時加害者は16歳であった。この、母親を殺害したときに射精したことを、姉妹殺害事件の検事に語っている。2000年9月に中等少年院送致の保護処分を受けた後、2003年10月に仮退院した。だが、2004年3月の本退院までは保護観察下にあった。
彼は、少年院退院後の2005年2月ごろパチスロ機を不正操作しコインを盗むグループに加わる。だが、そのグループが福岡から大阪に活動拠点を移した11月に稼ぎが上がらず、仲間に離脱したい旨を伝え仲間のマンションを出た。だが、その後も生活のめどが立たず、母親殺害の際に感じた興奮と快楽を再び得るために被害者らを狙った。
まず、飲食店での仕事を終えて帰宅した姉(当時27歳)がドアを明けた瞬間に背後から襲撃し、ナイフで胸を突き刺した。そして彼女の片足のズボンと下着を脱がせ死姦を行い、膣外射精した。その後妹(当時19歳)が帰ってきたためナイフで胸を突き刺した。そして姉のすぐ側で妹を陵辱した。腕や頬を刺す度に性的興奮が訪れた。その後、ベランダで煙草を吸い姉妹の胸を再び突き刺してとどめを刺し、室内に放火して逃走した。
2005年12月5日、建造物侵入容疑で逮捕される。12月19日には、強盗殺人容疑で再逮捕。2006年5月1日に初公判が開かれる。5月12日、第2回公判が開かれたが被告人質問で彼は「人を殺す事と物を壊す事は全く同じ事」と述べた。6月9日から10月4日まで精神鑑定が実施されたが、10月23日に裁判長はアスペルガー障害を含む広汎性発達障害には罹患していないとし、人格障害であるとする完全な責任能力を認める精神鑑定書を証拠として採用する。2006年12月13日午前、大阪地裁で死刑判決が下った。