孫休
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孫休(そんきゅう 235年 - 264年 在位258年 - 264年)は中国三国時代の呉の三代目皇帝。字は子烈。孫権の6男。呉の景帝。
258年、孫亮が孫綝に廃されたため、その後継者として擁立された。しかし傀儡になることを嫌って重臣の張布、宿老の丁奉らと図って孫綝を誅殺し、皇帝権力を取り戻した。明晰な頭脳を持ち学問と狩りを好む人物だったといわれている。有能な皇帝ではあったが、どちらかというと学問好きな研究者タイプであり、次第にその方面に溺れて政治を顧みなくなったと言われている。そのため、重臣の張布が政治を取り仕切っていたと言われている。
先帝である弟の孫亮の夭折に関して、孫休による毒殺とする説もあるが、真偽は定かでない。
264年、死の間際に自分の後継ぎは息子の孫ワンにするように命じた。しかしその死後、幼少であるとの理由で張布が猛反対して実現せず、孫休の後を継いだのは、甥の孫皓となってしまった。そしてその孫皓の暴政により、呉は滅亡する。孫休の早世は、呉の滅亡の大きな引き金となったのである。
[編集] 逸話
- 自分の姪と結婚した。問題がないわけではなかったが仲むつまじかったという。
- ある時、尻尾のない竜にのって天に昇ったという夢を見る。その直後に孫亮が廃されて皇帝就任を要請された。
- 4人の息子を名づけるにあたり、名前は競合するべきではないということと最近は2字名が多いがその人間の実質に即していないことが多いという理由で新しい漢字を創造した。(UNICODEにさえ登録されていない)
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