宣宗 (唐)
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宣宗(せんそう、820年-859年(大中13年)、在位は846年-859年)は、唐の第十六代皇帝。第十一代皇帝・憲宗の十三男で、第十二代皇帝・穆宗の弟であり、第十五代皇帝・武宗の叔父に当たる。姓は李、元の諱は怡(い)だったが即位と共に忱(しん)に改めた。
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[編集] 生涯
初めは光王に封じられる。甥・武宗の病が篤くなると宦官の馬元贄によって異例の皇太叔に擁立され、846年に武宗が没して即位した。
皇帝としての能力は聡明で、衰退した唐を再建するために裴休らを起用して内政に力を注いだ。李徳裕の一党を左遷し、牛僧孺らを抑えるなど重臣による派閥闘争(牛李の党争)や宦官の抑制、さらには武宗時代に出された廃仏令(会昌の廃仏)を棄却し、仏教勢力に保護を与えるなど、その治世には一定の成果を収めている。また、宦官に対しては穏健な抑制政策を取って勢力の削減を図った。
しかし、晩年に入って道教を狂信するようになり、不老長寿を求めるようになった。そして859年、不老長寿の薬を誤用して死去したという。齢51。
宣宗は、その治世に一定の成果を挙げたため、小太宗と呼ばれているが、戦乱のために実録が失われたためにその業績の詳細は不明である。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 元昭皇后
[編集] 子
- 汴王李漼(懿宗)
- 靖懐太子(雍王)李漢
- 雅王李涇
- 衛王李灌
- 夔王李滋
- 慶王李沂
- 濮王李沢
- 鄂王李潤
- 懐王李洽
- 昭王李汭
- 康王李汶
- 広王棣王李澭
[編集] 年号
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