懿宗 (唐)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
懿宗(いそう、833年-873年、在位は859年-873年)は、唐の第十七代皇帝。第十六代皇帝・宣宗の長男。名は漼。
目次 |
[編集] 生涯
父・宣宗が859年に死去したため、後を継いで即位することとなった。しかし暗愚な人物であり、宦官に全てを一任して政務を顧みず、その在位中には農民による反乱が多発した。また、懿宗の死後からわずか2年後に発生した農民の大反乱・黄巣の乱も、この懿宗の悪政が遠因しているのである。
一説によれば、父・宣宗は次男で嫡子でもある雍王・李漢(靖懐太子)を皇嗣と定めたが、彼が早世したために、止むなく庶長子で汴王・李漼(後の懿宗)を皇嗣として見計らったが、あまりにも暗愚なために皇太子に指定する意思はなかった。だが、宣宗が危篤に陥ると宦官達が勝手に懿宗を擁立したのだと言われている。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 恵安皇后
[編集] 子
[編集] 年号
|
|