室戸汽船
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室戸汽船(むろときせん)は、大阪府大阪市の大阪南港(元は神戸青木)から高知県東洋町の甲浦港を経由して高知県土佐清水市のあしずり港を結ぶ航路を持っていたフェリー会社。1998年4月からは、第三セクター高知シーライン(こうちシーライン)が航路を引き継いだが、2001年12月9日をもって航路休止。その後、航路廃止となる。 所有していた船舶の「フェリーむろと」は、赤い鯨を塗装したことで『赤い鯨の船』として有名。会社のステッカーなどにも『赤いクジラをさがせ!』というキャッチフレーズが記載された。
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[編集] 歴史
- 1982年11月 関西汽船の神戸 - 日向航路廃止に伴い、その航路に就航していた「にちなん丸」を室戸汽船が購入。「フェリーむろと」(初代)と改名して、神戸 - 甲浦航路に投入する。
- 1982年12月 神戸 - 甲浦航路を土佐清水市のあしずり港まで延長することを決定。同時に「フェリーむろと」(2代目)就航。
- 1987年7月 6,500トン型フェリー「フェリーむろと」(3代目)就航。同時に船舶整備公団(運輸施設整備事業団)との初の共有長距離フェリーとなる(その約3年後、関西汽船やダイヤモンドフェリーと共に大阪商船三井船舶の傘下に入る)。
- 1992年 「フェリーむろと」の船体に「赤い鯨」を塗装する。以後、この赤い鯨がトレードマークとなり『赤い鯨の船』として知られるようになる。
- 1995年1月 阪神淡路大震災に伴い、神戸青木のフェリー埠頭が全壊したため、大阪南港に発着港を変更する。
- 1996年11月 震災後の臨時港であった大阪南港で売り上げが増加したため、正式な発着港として利用するようになる。
- 1997年 明石海峡大橋の架橋を翌年に控え、さらに原油価格の高騰、利用客の減少を理由に室戸汽船が航路休止を決定。寄港している各市町村で協議の結果、東洋町が第三セクターによる新会社『高知シーライン』を設立することが決定。航路は存続される。
- 1998年4月 室戸汽船が高知シーラインに営業譲渡。高知シーライン営業開始。
- 1999年7月 甲浦港に入港しようとしていた「フェリーむろと」が台風8号の影響による突風にあおられ、甲浦港内の防波堤に接触後、浅瀬に乗り上げて座礁。奇跡的に死傷者は出なかったものの、この年の赤字総額が1億7000万円を計上してしまう。
- 2001年12月 最終手段として社員の給料を一部カットするなど、経営再建を図ったが、原油価格の高騰が追い討ちをかけ、ついに航路休止となる。
[編集] 航路
- 会社設立当時・・・神戸港(船体の案内板には『東神戸』と記載されていた) - 甲浦港(高知県東洋町)
- 1982年12月~1994年12月・・・神戸港 - 甲浦港 - あしずり港(高知県土佐清水市)
- 1995年1月~2001年12月・・・大阪南港 - 甲浦港 - あしずり港
[編集] 所有していた船舶
- フェリーむろと(初代)(旧「にちなん丸」)
- フェリーむろと(2代目)
- フェリーむろと(3代目)
[編集] 外部リンク
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