寺越友枝
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寺越 友枝(てらこし ともえ、1931年 - )は、昭和38年(1963年)5月に行方不明になり、昭和62年(1987年)1月に北朝鮮で生存が判明された寺越武志(朝鮮名:金英浩)の母親。
寺越武志の生存が判明された昭和62年1月以降、当初は数年に1度、近年は年に数回の割合で頻繁に訪朝している。北朝鮮への旅費は清掃員として得た給金などを充てている。周囲の人からは「度々訪朝することで北朝鮮の外貨獲得に貢献している」、「北朝鮮に洗脳された」などと陰口をたたかれた。しかし友枝は「北朝鮮に媚びているのではなく、これまでできなかった親らしいことを、今しているだけです」と反論している。著書に「北朝鮮にいる息子よ、我が胸に帰れ」がある。
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