寺越武志
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寺越武志(てらこし たけし、1950年 - )は、日本で生まれ、現在は北朝鮮で金英浩(キム・ヨンホ)という名前で生活している男性。1963年5月11日、13歳の中学生であった寺越武志は、叔父の寺越昭二(当時36歳)、寺越外雄(当時24歳)と能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。翌日に沖合い7kmを漁船だけが漂流しているのを発見された。その後の消息がつかめず戸籍上「死亡」扱いにされたが、1987年1月22日に寺越外雄からの手紙によって北朝鮮での生存が判明した。それ以降、母である寺越友枝は彼に会うために数ヶ月に1度の割合で頻繁に訪朝するようになる。1997年7月1日、金沢市を本籍として戸籍を回復している。
寺越武志はこの行方不明について、「自分は拉致されたのではなく、北朝鮮の漁船に助けられた」と話し、拉致疑惑を否定している。そのため、日本政府が認定する「拉致被害者」には含まれない。
2002年10月3日に、労働団体の代表団の副団長として来日し、石川県の生家にも宿泊した。この来日は拉致被害者5人が帰国する12日前であったが、日本政府と与党(自民党と公明党)関係者の出迎えがなかったため、友枝は「武志を日本人として扱ってほしかった。武志は完全に北朝鮮人になってしまった」と思ったそうである。帰国が近づいた頃、寺越友枝が「お前は日本人なんだから日本のパスポートを持つべき」と問いかけたところ、「私は(朝鮮民主主義人民)共和国の人間です。金正日将軍様の配慮で何不自由なく暮らしています。」と話し、日本のパスポート所持を拒否した。この日本滞在期間中、北朝鮮からの同行である朝日友好親善協会の役員が、常に監視をしていた。
一緒に行方不明になった寺越昭二は1968年に清津で死亡、寺越外雄は1994年に亀城で死亡している。
[編集] 北朝鮮による拉致疑惑
「沖合いで北朝鮮の船に助けられた」という証言は、金英男の証言と一致しており、北朝鮮当局者からの指示である可能性がある。また、わずか7km沖合いの日本領海内において漂流した漁船が発見されており、北朝鮮の工作船によって発見され拉致されたと推測されている。しかし、2002年の来日時には拉致を否定したため、拉致被害者として日本政府は認定してない。
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