小島英次
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小島 英次(こじま えいじ 1977年12月16日- )は広島県出身の元プロボクサーである。
[編集] 戦歴
- 2000年12月12日、金沢ボクシングジム所属でプロデビュー。今津竜也に4R負傷判定勝ちを収める。
- 2001年12月3日、5戦目でOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座決定戦に出場。李根植に7R負傷判定勝ちをし、東洋王座を獲得。
- 2002年4月14日、世界挑戦経験者の浅井勇登を相手に東洋王座の初防衛戦を行い、大差がつく12R判定勝ち。世界挑戦に専念するため、東洋王座を返上。
- 2002年7月31日、日本最短の7戦目でWBA世界スーパーフライ級王者のアレクサンデル・ムニョスに挑戦し、2RTKO負け。世界王座獲得に失敗。
- 2003年8月16日、再起3戦目にOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座決定戦に出場。ワエンペッチ・チュワタナに12R判定勝ちし、東洋太平洋王座を奪還。
- 2004年1月3日、ジムの先輩徳山昌守の前座で、WBA世界スーパー・フライ級王者のアレクサンデル・ムニョスに再挑戦。前回以上の奮闘を見せ、王者ムニョスをグラつかせる場面も見せるも、10RTKO負け。世界王座獲得に失敗。
- 2005年5月2日、再起戦で新OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者となったワエンペッチ・チュワタナに挑戦。しかし2RTKO負けで王座獲得に失敗。この試合後、「小島はジムの無茶なマッチメイクに潰された」「小島はムニョスに壊された」「小島はもう終わった」という悲観的な意見が相次ぐようになる。
- 2005年1月29日、日本王座を7度防衛した仲宣明を相手にサバイバルマッチを行う。戦前は小島の不利だったが、試合は小島の10R判定勝ち。仲はこの試合を最後に引退し、小島の評価は再び上昇することになる。
- しかし、仲戦の直後に網膜剥離が発覚。JBCルールにより現役続行が不可能になる。2005年11月7日に引退式を行い、正式に現役を引退。
[編集] 戦績・獲得タイトル
- 通産戦績15戦12勝(3KO)3敗
- 第21代OPBF東洋太平洋スーパー・フライ級王座(防衛1=返上)
- 第23代OPBF東洋太平洋スーパー・フライ級王座(防衛0=返上)