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小早(こはや)は中世(戦国時代)から近世(江戸時代)にかけて使われた日本の軍用船の種類のひとつで、大型の安宅船と中型の関船とで三分される内で最も小型の軍船を指す。名称の“小早”は、“小型の早船(関船)”という意味である。
安宅船や関船のような総矢倉(楯板を張り巡らせた装甲)を持たず、半垣造りとよばれる足を隠す程度の低い垣立てを持つのみで防御力に劣るため、戦闘での役割は補助的であったが、その軽快な機動力を活かして偵察や伝令などの用途に主用された。櫓の数は概ね40挺以下である。