少年老いやすく学なりがたし
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少年老いやすく学なりがたしとは、若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならない、という意味のことわざ。
類似したことわざに、「光陰矢のごとし」「少年に学ばざれば老後に知らず」などがある。
また、似た意味を表す英語のことわざに、"The day is short, and the work is much." や "Art is long, life is short." がある。
[編集] 出典について
この言葉の出典は朱熹(朱子)の「偶成」という漢詩だとされていた。
少年易レ老学難レ成
一寸光陰不レ可レ軽
未レ覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
しかし、朱熹の詩文集にこの作品は見当たらない。これが朱熹作の「偶成」として登場するのは、明治時代の日本の漢文教科書からである。一方、近世初期の詩文集には、ほぼ同じ内容の詩が、異なる題と作者名を伴って収録されている。
まず、元和9年(1623年)成立の『翰林五鳳集』(『大日本仏教全書』所収)巻37に「惟肖」作の「進学軒」という題で、この詩が収録されている。『翰林五鳳集』は南北朝時代から近世初期にいたる五山詩を集成したもので、「惟肖」も室町前期の五山僧惟肖得巌(1360年-1437年)と考えられる。「○○軒」は寮舎(禅寺や塔頭の中に建てられた各種の寮を有する公的建造物)を示す。
また、禅僧の滑稽詩を集めた『滑稽詩文』(『続群書類従』所収)に、「寄小人」という題で、この詩が収録されている。こちらは作者が記されていない。
両方とも、転句が「未覚池塘芳草夢」となっている点が、「偶成」と異なっている。「進学軒」が、後に「寄小人」に改変されたと考えられる。 「進学軒」は勧学の詩と解釈できるが、「寄小人」は滑稽詩とされている。柳瀬喜代志の説によると、題の「小人」は「年若い僧」を意味し、起句の「少年」は「寺院にあずけられた俗人の子弟、あるいは幼少にして出家し僧を目指している男児」であると共に、僧侶の性愛の対象である稚児の意をも含んでいる。それ故この詩は、年若い僧に対して「君の稚児さんは老け易いが、君の学業成就は難しい」、だから男道と学問とにその若い時を惜しんで過ごしなさいと勧める詩意を成すという。柳瀬はまた、「寄小人」が明治時代の教科書編纂者によって朱熹作の「偶成」に改変されたのであろうと推定している。
[編集] 参考文献
- 岩山泰三「『少年老い易く学成り難し…』とその作者について」(「月刊しにか」Vol.8・No.5、大修館書店、1997・5)
- 柳瀬喜代志「教材・朱子の『少年老い易く学成り難し』詩の誕生」(大平浩哉編著『国語教育史に学ぶ』学文社、1997・5)