尾崎康工
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尾崎康工(おざきやすよし)は明和期(1764年~1771年)の代表的俳人。
元禄15年(1702年)に越中国砺波郡戸出村古武屋孫右衛門の三男に生まれ、本家から分かれた後に姓を尾崎をした。屋号は沢村屋、通称伊兵衛。はじめ六壁庵と号し、別号を八椿舎、後に康工と改めた。
40才を過ぎるころから松尾芭蕉の遺風を慕って全国を行脚した。近江国の義仲寺に長い間芭蕉の墓守として滞在し句碑を残した。
晩年は故郷戸出へ戻り「六壁庵」と呼ばれる庵(現在の太玄寺)を結び、門人の育成に励んだ。
[編集] 主な著書
100人の俳人の肖像とその俳句を紹介したこの書は宝暦14年の上梓以降大変な好評を博し、2版3版と重版が行われた。それから80年後の嘉永3年(1850年)には普及版が出版され当時の大ベストセラー作品であった。
- 金花伝 上下2巻(安永2年;1773年8月)
芭蕉の句を解説した書でこれも全国的な影響力を与えた。芭蕉の句およそ100章を挙げてこれに評釈を加えている。
- 蕉句後拾遺(安永3年;1774年1月)
俳論書。風国の「泊船集」、華省の「芭蕉句選」、寛治の「芭蕉句選拾遺」にもれた芭蕉の句などを掲載。
- 西住墳記(安永4年;1775年)
西行上人のお供をしていた弟子西住法師が行脚の途中、砺波郡三谷村で病気になり他界。西行が西住法師の碑を立てたいわれなどが記されている。
- 武越文通(安永5年;1776年)
[編集] 著名な句
- 燈もひとつ また夕顔の 見えにけり(夕顔塚として句碑が戸出東町にある。)
- 朝神楽 森に秋風 殊更に(戸出の神社例大祭にて)
- 鶯も 爰守らせよ 神の杉(戸出の神社例大祭にて)
- 連なしにはあらず往生は花の道(辞世の句)