山下啓次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山下 啓次郎 (やましたけいじろう, 慶応3年12月(1867年12月) - 昭和6年(1931年) は明治・大正期の建築家である。 東京帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)卒業。司法省に務め、五大監獄を設計する。
ジャズピアニスト、山下洋輔は祖父・啓次郎の事跡を尋ね、小説「ドバラダ門」を書いた。
目次 |
[編集] 経歴
- 1867年(慶応3年)鹿児島に生まれる、父は薩摩士族、房親
- 1876年(明治9年)上京
- 一高を経て工科大学へ。辰野金吾のもと、建築を学ぶ
- 1892年(明治25年)帝国大学工科大学卒業(同期生に伊東忠太ら)
- 警視庁入庁、のち司法省に移り営繕を担当
- 1901年(明治34年)~ 欧米の監獄を視察し、翌年帰国
- 1930年(昭和5年)司法省を辞する
- 1931年(昭和6年)逝去
[編集] 主な作品
- 千葉監獄(1907年、現千葉刑務所)
- 鹿児島監獄(1908年、門のみ現存)
- 奈良監獄(1908年、現奈良少年刑務所)
- 名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所(1922年、現名古屋市市政資料館)
[編集] 余談
- 山下が中心になって設計した千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島の監獄は五大監獄といわれる。
[編集] 関連項目
[編集] 関連書
- 山下洋輔「ドバラダ門」