山名政豊
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山名 政豊(やまな まさとよ、嘉吉元年(1441年) - 明応8年(1499年))は室町時代の武士。山名宗全の子。山名教豊の弟。
兄教豊の養子となる。1455年に赤松則尚が挙兵し、政豊が城主を務める播磨国室山城を攻めた。だが兄教豊が援軍として政豊のもとに駆けつけると、則尚らは逃亡した。
1467年に兄が没し、政豊が山名氏を継いだ。
1473年に相次いで宗全・勝元が没すると、子の政豊・政元で講和を結んだ。
1483には播磨国などの守護大名赤松政則と播磨但馬の国境あたりに位置する真弓峠で戦い、勝利をおさめる。その後も赤松氏とたびたび抗争を繰り広げた。