峰崎勾当
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峰崎勾当(みねざき こうとう、生没年不詳)は18世紀末から19世紀初頭に大阪で活躍した盲人音楽家(地唄三味線演奏家、作曲家)。峯崎とも書く。
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[編集] 生涯
生年は不詳。天明頃から享和頃にかけて活躍した地唄三味線の名手で、豊賀検校の門人。
地唄の端歌ものを多数作曲、また手事物を大成し名曲をいくつか残したことも重要である。端歌物の作品には風格の高いものが多く、ことに『雪』は、端歌の最高傑作として知られ、後世には舞もつけられ、地歌舞としても名高い。このほか師の豊賀検校の追善曲『袖香炉』も名曲として知られている。
その一方で手事物の名作も多い。彼の作品に至って、手事が長大となり、歌よりも手事の方に比重が置かれ、転調が工夫され、三味線の技巧が複雑となった。これにより地唄はいっそう器楽的に発展することになる。特に『残月』は、大阪宗右衛門町に住んでいた才能ある門人、松屋某の娘という人が若くして亡くなったのを悼んで作曲されたもので、代表的な追善曲である。優れた手事物の名曲として広く知られ、内田百間の小説にも取材されている。『越後獅子』も長い手事を伴う人気曲で、後に長唄にも取り入れられた有名曲である。また『吾妻獅子』は華麗な獅子ものとして現在も人気の高い曲である。このほか椿の品種多数を詠み込んだ『玉椿』等も知られる。
検校に昇格したかどうかは分からず、没年は分かっていない。峰崎が大成した手事物を受け継いだ後輩に『松竹梅』『根曵の松』の作曲者三つ橋勾当がおり、この後手事物作曲の主流は大阪から京都に移り、松浦検校、石川勾当、菊岡検校らによって更に発展していく。