島津運久
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島津運久(しまづゆきひさ、応仁2年(1468年) - 天文9年(1540年))は、室町時代後期の薩摩の人。薩摩島津氏の分家である相州家2代当主。忠幸とも。父は初代当主、島津友久。三郎左衛門尉。官は相模守。室に常盤(新納是久の女)。子に女(島津忠将の室)、女(佐多忠成の室)、島津忠良(養子:伊作家島津善久の子)。
島津宗家の分家、相州家2代当主。初代友久の長子。明応3年(1494年)、伊作家の島津善久が下男により殺害されると、その妻の常盤を娶る。この時常盤が出した条件が善久の遺児、菊三郎(後の島津忠良)を相州家の後継ぎとするというものであった。永正9年(1512年)、約定通り運久は当主の座を忠良に譲り隠居する。その後運久は本家の領内平定戦にも参加している。1540年に死去、享年73。