市橋直挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市橋 直挙(いちはし なおたか、正徳2年(1712年) - 享和2年4月7日(1802年5月8日))は、近江仁正寺藩の第5代藩主。父は筑後国三池藩主立花種明(直挙は次男)。母は毛利氏。正室は市橋直方の娘。側室に白鳥氏。高橋氏。内田氏など。官位は従五位下。下総守。
幼名は万次郎。友太郎。1728年に先代藩主の直方の実子が早世したため、その婿養子となった。1736年5月25日、直方が隠居したため、その後を継ぐ。1758年11月24日、家督を養嗣子の市橋長輝に譲って隠居し、1790年には剃髪して体山と号した。1802年4月7日、91歳という長寿をもって江戸で死去した。墓所:金剛寺殿体山一無大居士。墓所:東京都荒川区西日暮里の南泉寺。
|
|
|