平埔族
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平埔族は、台湾原住民のうち平野部にすむ民族を指す総称である。清朝の統治下と日本植民地時代には「平埔番」、「熟番」などの蔑称が用いられていた。山地に住む原住民である高山族と区別されるが、これは居住地域から便宜的に用いられるものであり、正確な民族系統を反映したものとはいえない。
元々は、台湾の平野部全域に居住していた。しかし、明代以降、特にオランダが漢民族を労働力として移入させてから、漢民族との通婚や漢化が進んだ。特に清朝は政策として漢化(漢民族化)を推し進めた。そのため、徐々に平埔族を名乗るものは減少していった。日本植民地統治時代に平埔族についての研究が始められたが、既に大多数は漢民族化していた。解放後国民党が台湾に移った後は、再び漢化政策が行われ、エスニックグループとしての意識が希薄化し、また政府も原住民として認定しなかった。
民主化後、エスニックグループに関する研究が盛んになると、社会や学会などの注目を集めるようになった。現在、サオ族とクバラン族のみが政府から原住民族としての認定を受けている。そのほかにもケタガラン族など、認定を受けていないグループが多い。