平塚優子
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平塚優子(ひらつかゆうこ・1978年10月25日-)は1990年代半ばに放送されたTBSラジオ「シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー」のパーソナリティー。埼玉県出身。成蹊大学卒業、フジテレビアナウンサーの高島彩とは学部は違うが同期。
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[編集] 略歴
高校1年生だった1994年9月に当時落成したばかりのTBS新放送センター(通称ビッグハット)でTBSラジオ主催の第2回シンデレラドリームオーディションに合格。僅か1週間後の10月(放送は4日深夜(5日未明))から早速同局の深夜番組「シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー」(以下ミッドナイト☆パーティーと略す)の火曜深夜2部担当でデビューした。第2回合格者(ミッドナイト☆パーティーシンデレラ2期生)5人の中で唯一、10月からのレギュラーパーソナリティー起用となった(ほかの4人は翌年1995年からレギュラーだった)。当時女子高に通学しており学校では風紀委員に選ばれるほど、正統派で女子高生とは思えないアナウンスのうまさで、将来はアナウンサーを目指していたという。また正直で素直な部分があり感情に表しやすく番組最後の定期イベントだった1995年9月24日の「ミッドナイト☆パーティーファイナルイベント」や10月3日深夜(4日未明)の自身担当の最終回でのあいさつでは他のシンデレラ(パーソナリティー)以上に寂しさがにじみ出ていた。番組をやっていたころは同じ2期生仲間で1つ年上の芹川ゆかりや1つ年下の中上千鶴、また1期生だが同い年の松宮麻衣子らと大の仲良しだったという。ミッドナイト☆パーティー終了後には後継番組の「ウィークエンド・ミッドナイト☆パーティー」にも松宮麻衣子のコーナーに数回ゲスト出演した。
1996年春にウィークエンドミッドナイト☆パーティーが終わった後は一切ラジオやテレビにでることはなかったが、1997年に成蹊大学に進学後は、秋に「ミスモンモン倶楽部("モンモン倶楽部"はプリント倶楽部の姉妹版)」に選ばれ、雑誌の美人女子大生特集のコーナーに顔写真付で掲載された。また大学4年の2000年には当時戸部洋子(現フジテレビアナウンサー)や西村美保ら女子大生がパーソナリティーをつとめたTBSラジオの深夜番組「キャンパスネット24」のキャンパスアイドルに自ら応募した。しかし、ファンのホームページに送ったメッセージで厳しい就職活動で自らの夢だったアナウンサーになるのを断念、2001年に大学卒業後は出版社に就職、その後結婚。ついにファンの前に再びお目(お耳)にかかることはなかった。
[編集] 主な活躍
[編集] M☆Pシンデレラ(高校時代)
- (1994年~1996年)
- ヤングジャンプ(集英社・1994年9月)
- 第2回シンデレラドリームオーディションで予選通過者はこの雑誌で掲載。そして彼女を含む5人の合格者発表の時も改めて掲載された。
- シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー(TBSラジオ系・1994年10月~1995年10月)
- 火曜深夜2部(26:00~27:00・水曜午前2:00~3:00)担当。なお以下の放送は中止、または別パーソナリティーによる放送だった(いずれも1995年)。
- 1994年11月 松宮麻衣子主催イベント「松宮麻衣子TOMATOスタジオ」にゲスト出演
- 1994年11月~1995年9月 「TV版!ミッドナイト☆パーティー」(TBSテレビ) 時々出演
- ウィークエンド・ミッドナイト☆パーティー(1995年10月~1996年3月)
- 「松宮麻衣子のあのね、それはね」に数回ゲスト出演
[編集] 大学時代
- (1997年~2000年)
- ビッグコミックスピリッツ別冊「slash」(小学館・1997年) 女子大生特集ページに掲載
[編集] 関連項目
ミッドナイト☆パーティー シンデレラ |
シンデレラドリームオーディション第1期生 |
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黒住祐子・橋口育代・潮まきこ・松任谷玉子・額村麻裕・四元都華咲 石本祥・岩崎伊津子・蛭田有希子・福田真知子・高田裕子 坂井美唯子・古賀美智子・平松まゆき・永瀬知恵・松宮麻衣子 |
シンデレラドリームオーディション第2期生 |
後藤明子・芹川ゆかり・平塚優子・相沢知・中上千鶴 |
オリジナルユニット |
マヒマヒ |