平将国
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平 将国(たいら の まさくに、生没年未詳)は、平安時代の武将。関東地方に武家政権の発祥とも言われる国家を建設し「新皇」を名乗った平将門の子と伝わる。桓武天皇系坂東平氏6代目当主であり、信田氏の始祖で子の小太郎文国は信田氏を称した。長兄には平良門がいる。
父の新皇将門が、世に言う天慶の乱の勃発によって滅ぼされると、まだ幼少でたった将国は、一族に担がれ二代新皇を称し再興を図るも、守る将兵や乳母らとともに浮島に落ち延びたと伝えられる。
戦乱が沈静化した後は、疲弊し荒れ果てた領地を回復させるため叔父の平良文の後見を得て、治世に心血を注いだ。その後の足跡は不明であるが、後年、歴史上に見られる安倍晴明と同一人物である、という説が有名である。また、将国が神のお告げで発見し、病や傷を癒したとされる紀北町の有久寺温泉などが伝えられている。