平維衡
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平維衡(たいらのこれひら、生没年不詳)は平安時代の武将。平貞盛の四男。伊勢守を務め伊勢平氏の祖となった人物である。
中世の説話集「十訓抄」には優れた武士として、源頼信・藤原保昌・平致頼と並んで挙げられている。この四人がもし、互いに相争うのならば、必ず命を失うはずだと書かれている。
寛弘3年(1006年)には左大臣藤原顕光の推挙で伊勢守になるが、すでに同国に多くの所領を得ていたため、藤原道長の強硬な反対により辞任に追い込まれている。
同族である致頼とは、伊勢国における覇権を巡り、数度に渡って抗争を展開した。この争いはそれぞれの子息の代にまで引き継がれるが、徐々に維衡系が致頼系を圧倒してった。これによって前者は後代伊勢平氏として発展し、その系統から平清盛が出て最盛期を築くことになる。