平賀粛学
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平賀粛学(ひらがしゅくがく)とは、昭和14年(1939年)に当時の東京帝国大学総長、平賀譲が経済学部教授の河合栄治郎、土方成美の両教授を休職にした事件。
当時の東京帝国大学経済学部では、自由主義派の河合栄治郎と国家主義派の土方成美の派閥抗争が激しく、また河合については著書の発禁処分により文部省から処分を迫られていたところであった。 平賀は喧嘩両成敗の立場から、経済学部教授会に諮ることなく、独断で両教授の休職を文部大臣に具申した。学部の自治と思想の自由に介入したこの処分に抗議し、両派の教授らも辞表を提出。13名が経済学部を去るという事態に発展した。
数名の辞職撤回と教官の補充などにより、事態は1940年に一応の収拾を見た。
[編集] 参考文献
- 竹内 洋『大学という病-東大紛擾と教授群像』(中央公論新社、2001年) ISBN 4120031861