教育
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教育(きょういく)とは、社会の維持と発展のため、個人のさまざまな能力を引き出すことであり、学び(学習)の一助となることをめざして、教え続けることである。
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[編集] 概要
教育というと、こどもを育てて人間としてより良い方向へ発達するように指導・援助するという意味合いが強調されることもあるものの、教育には、こどもに対するもののほかに、一般成人や高齢者に対するものもある。人々に基礎的な教育を保証するために、日本を含む多くの国では、6~9年ほどの義務教育が設けられており、日本においては、学校教育によって義務教育が担われている。
日本において教育は、行われる場に対応させて学校教育・社会教育・家庭教育の3つに大きく区分して捉えられることが多い。「学校教育」とは、学校において行われる教育のことであり、特にこどもに対しては、同年代のこども達を一定期間、定められた学校で所定の年限の間、心身の発達に応じて行われる。「家庭教育」とは、家庭において行われる教育のことであり、特に人間社会において基礎的な事項をこどもに示すことはしつけと呼ばれる。「社会教育」とは、社会において行われる教育のことであり、広義には、社会のさまざまな場において行われている多様な教育活動が該当するといわれている。
また、日本における教育は、知識の伸張(知育)、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)の3つを中核として捉えられるほか、キャリア(職業など)や各種資格のための高度な知識的・技術的な事項を教え伝達する方法がとられている。
日本においては、文章で教育の根本理念を明示したものとして教育勅語(1948年(昭和23年)に排除・失効確認)や教育基本法(昭和22年(1947年)法律第25号、現行法)がある。
[編集] 学校教育
[編集] 学校以外での教育
学校外でも、スポーツクラブやボーイスカウト、ガールスカウト、図書館や博物館、美術館、社会教育センターなどでも学んだり、体験したり、映画や工作、習い事に参加ということもできる。社会人になって企業や職場での新人研修から、地位の向上に伴っての管理職セミナーや技術・専門情報のリフレッシュセミナーもあり、こうした学校以外の場所での教育を、広く社会教育という。 また、学習塾、予備校も、最近は文部科学省でも、「もうひとつ別の学校」ととらえるようになってきた。また、不登校の子供たちのための民間の受け皿組織、フリースクールやフリースペースもやはり学校の一種とみてもいいのでは、といった考え方もでてきた。 また、如何なる教育機関にも属せず、自宅を中心として自分の意思で勉強を行うホームスクーリングも近年増えつつある。
ただし自宅学習や一部教育機関では教育の質を選別できない子供が洗脳されたり虐待されたりする可能性もある。問題になった団体はヤマギシ会などが有名。日弁連の宗教被害対策によると子供が親と隔離された状態で教育を受け洗脳され、また隔離が同時に人質となってしまう宗教被害の実例があったと記述している。またフランスなどは自宅学習などにセクト(カルト)的洗脳が見受けられる場合行政として救済対象とみなして活動するし詐欺的教育への予防的行政措置が活発。アメリカでは州に認可されてない非公式の大学などの卒業者が卒業後学位が何の役にも立たないことに気づいて愕然とする被害なども存在し、一概に受け入れると言う見方が成り立つわけではない。このように質の保証されないフリースクールは海千山千のものとしてみなすべきだと言う考え方もある。
[編集] 生涯教育の理念
近年まで教育は子供や他人に教える、あるいは教えられるというスタイルが主であった。教師、親のシナリオに従って学ぶというもので、20世紀初頭の「児童の世紀」がスローガンになった大正自由主義教育運動では、それを旧教育と呼んだ。当時、子供の関心、自発性、創造力にシフトすることこそが、新教育だと考えられたわけである。
最近では更に「自らデザインし、自ら学ぶ」、「自分で学ぶ」という行為も教育の本来の姿と強調されるようになってきた。これは、子供に限らず、成人した大人や高齢者、主婦についてもいえることで、その意味ではユネスコのポール・ラングランが提唱した生涯教育(ただし、これは最近は、生涯学習と言い換えられることが多くなった)の理念につながる。
合わせて、ローマクラブ(1970年設立)の第6報告書「限界なき学習」(1980年)が出てから、学習は個人単位のものだけでなく、集団や社会、国家という単位でも過去の失敗や先例から学習するし、できるはず、国際的な民族、国家間の紛争や経済支援も互いにその原因と背景を学ぶことにより解決の方途を探ることが出来るという言い方もされるようになってきた。今日、国連やOECDなどの報告の中には、この意味で教育、学習という単語は散見されるようになっている。学校教育という意味とはもうひとつの別の教育の意味であるが、これは国際理解教育(World Studies)という名前で小中学校の教育活動に既に取り込まれている。
[編集] 日本の教育政策の現状
現代日本の教育政策においては、ソビエト連邦の人工衛星打ち上げに触発された科学技術創造立国(科学技術立国とも)、教育立国として国家戦略として教育の重要性を位置づけ、生涯学習や高度専門教育の拡大、構造改革における教育特区の認定、あるいは諸々の教育政策において国の施政における大きな軸の一つとしてとらえられている。特に法科大学院やMBAなどの専門職大学院をはじめ、知的財産が社会的に注目されてきていることからコンテンツやITを活かした教育分野の広がりも顕著であり、教育のテーマとする幅はより多様化しつつある。
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[編集] 日本の教育政策の課題
1970年代までの教師には、「でもしか先生」[1]と批判を受ける者がおり、校内暴力などが多発し社会問題になった。この対策として地域によっては管理教育の強化がはかられた。
このような学力偏差値に偏重した教育、詰め込み教育への反省からゆとり教育への試みもなされたが、その一方、少子化で子供の数が年々減り始め、大学全入時代を迎えようとする中、学力低下の問題なども深刻化していると批判されるようになり、ゆとり教育そのものが再検討されつつある。
近年では、学校でのイジメ、学級崩壊、児童による教師への嫌がらせ、モラルに欠ける教師や保護者によるトラブルなどが取り上げられつつあり、また、統計上の件数は減少しているものの、生徒児童を狙った凶悪事件の発生が多く報道されるなか、生徒・児童の安全についての関心が高まっている。そこで近年、アメリカに倣い、割れ窓理論に基づいた「ゼロ・トレランス方式(不寛容方式)」の導入を検討する動きが文部科学省にも見られる。
これらに加えて、若者のフリーターやニートが増加しているとして問題視されつつあり、就職難や人生の迷い、無気力など様々な要因が指摘される中、労働者・労働組合の権利についての学習や、就労意欲の向上が、政策上の課題としても取り上げられつつある。「勉強を頑張っても就職できない」と考える中高生が現れていることも見逃せないとの指摘があり、「教養重視の中・高等教育」から、「職業能力・ビジネス能力重視」の教育へと改革する必要性も議論されている。経済問題と教育問題の区別を認めた上で、格差社会ともいわれる今日、個々人の持つ能力を多角的に評価・支援していくことが今後の課題との指摘がある。
また、中華人民共和国・大韓民国などから非難されている歴史教科書問題、愛国心教育、教員による国旗・国歌の尊重をめぐる問題なども今日、焦点となっている課題である。
- ^ 職務に対する意識の低さを「教師にでもなろうか」「教師にしかなれない」と揶揄された。
[編集] 暗記中心教育
暗記中心教育は均衡の取れた人間形成を害しているとの指摘がある。受験を目的として暗記した知識は、社会では役に立たず、インターネット等で簡単に調べられるので、時間の浪費だ(「魚を与えるよりも釣り竿(釣り方)を与えよ。」)との指摘がある一方で、正確な知識の共通基盤がなければ正しいコミュニケーションすら図れない以上、暗記という形態であっても最低限の知識を伝授する意義はあるとの主張もある。
また思考力の延長上に創造性というものがあるが、それとて 以前にどこまで発見・解明・発明されているかという前提となる知識がないと、もし新たな発見などを行った場合でも、それがはたして新しいものかどうかも分からず、その発明等に費やした努力が、徒労に終わる可能性もある。加えてそういった前提となる知識を疑うことから新たな発見につながることもあることから、ある程度の基礎知識は、必要といえる。
発見・発明まで至るかどうかはさておき、ある程度の共通基盤となる知識を選択し、学び、検討し、最低限の思考力や意思決定能力を養う訓練は、社会生活を営む上で、不可欠といえる。
[編集] コミュニケーション重視教育の必要性
コミュニケーション(コンセンサス形成)能力は、社会生活の必須の基礎であるにもかかわらず、多くの日本の教育現場ではその育成が軽視されており、社会生活に必要なコミュニケーション能力が養成されないことが課題との指摘がある。なお、脳医学的に見た場合、幼少期~小学生低学年の時期に基礎的言語能力を伸ばすことが妥当との声がある。
[編集] 実学型高等教育
国際競争の激化とともに必要性が高まった高度専門職業人を養成すべく、アメリカでの高度職業人養成システムを参考にしつつ、日本版ロースクールを含む専門職大学院制度が創設された。また、日本独自の技術教育システムである高等専門学校も非常に高い評価を受けている。
[編集] 国際比較されやすい日本の教育の論点
日本の教育は以下のような点で国際比較されやすい。
- 大学入試のあり方
- 学歴社会・入学試験重視の学校制度、それによる受験戦争という現象が見られるのは、発展途上国がほとんどであり、かつては日本でも同様の現象がみられたが、18歳人口の減少や入試の多様化により近年では状況が変わってきている。
- アメリカでは一般入試、一芸入試、推薦入試、ポートフォリオ提出、実技、面接、体力測定など様々な角度から優秀な人材を見つけ入学させる傾向にあり、推薦や実技・課外活動の比重はとても大きい。
- フランスでは、一部のいわゆるエリート大学やグランゼコールを除き、バカロレアに合格すれば大学に入学できる代わり、進級認定はきわめて厳格になされる。このため大学入学時、教授に「恋愛か勉強か選びなさい」と言われるという逸話があるほど勉強しなければ進級できない。
- イギリスでの教育理念は、「その子にはどんな能力があるか」「どの能力が一番優れているか」を見つけ、それをどう伸ばしてゆくかということに重点が置かれている。
- この点、「ありのままの実態」と「あるべき理念」との区別が求められるとの声もある。
- 日本語での高度なコミュニケーション能力の育成
- アメリカではディベート教育が、教育の重要なターゲットに設定されている。
- 欧州特にフランスなどでは、「卒業するまでにすべての子供が、自分が頭で考えていることを相手に正確に分かりやすく説明することができる基礎的コミュニケーション能力を身につける」という国語教育が、小学校での最重要の教育目標になっている。
- 日本が今まで「高いコミュニケーション能力・交渉能力の育成」に力を入れなかった結果として、国際社会で日本が優位に立てない状況(国連の常任理事国入りを果たせない・領土問題解決の遅延等)を生み出しているという指摘がある。
- 英語教育と実践的英語コミュニケーション能力
- 日本の受験英語で高成績を得ても、実際の外国人とのコミュニケーションには役に立たないという批判がある。
- 一般的に、日本人には欠けていることが多いとされる基本的なコミュニケーション能力をまずは高めることが、英語のコミュニケーション能力を育む土壌になると考えられる。
- ただ、英語圏のネイティブスピーカーが中国語や欧州の言語(フランス語等)などと比べ、日本語を習得するまでの総計時間が長いというように、英語と日本語はそもそも近似性がなく言語習得が困難との研究報告もあることから、一概に日本の教育方針が間違っている/教員の能力が劣っているとは言えないという主張もある。
- 受験英語とTOEFLは共通点が多く、英会話だけが英語力でないという指摘もある。
- なお、これらの実践的な英語教育の欠如が、日本における各種英会話マーケットの市場を下支えしているという社会経済現象を生んでいる。
[編集] 環境教育
[編集] 関連項目
- 教育学
- 教育史
- 教育基本法
- 教育勅語
- 生涯学習
- 義務教育
- 発達支援教育
- 性教育
- 遠隔教育
- 社員教育(企業内の教育・研修)
- 反日教育
- プロパガンダ
- 非暴力的危機介入法(NCI)
- 国際交流
- 受験
- 障害者
- いじめ
- 英語イマージョン教育
- 理科離れ
[編集] ウィキペディア内の教育総合案内
[編集] 教育に関する機関・団体
- 文部科学省(日本国)
- 教育委員会(都道府県、市町村・特別区、地方公共団体の組合)
- 国際連合教育科学文化機関(UNESCO)
- 日本教育学会
[編集] 教育情報・サービスに関する企業
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