広開土王碑
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広開土王碑(こうかいどおうひ)は、高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)の業績を称えるために息子の長寿王によって414年に建てられた石碑である。1880年に中華人民共和国吉林省通化地級市集安市で発見された。高さ約6.3メートル・幅約1.5メートルの角柱状の碑の四面に総計1802文字が刻まれ、純粋な漢文[1]での記述がなされている。風化によって読めなくなっている文字もあるが、辛卯年(391年)条に倭の記事が見られ、4世紀末から5世紀初の朝鮮半島の歴史、古代日朝関係史を知る上での貴重な史料となっている。好太王碑とも言われ、また付近には広開土王の陵墓と見られる将軍塚・大王陵があり、広開土王陵碑とも言われる。
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[編集] 碑文
碑文は三段から構成され、一段目は高句麗の開国伝承・建碑の由来、二段目に広開土王の業績、三段目に広開土王の墓を守る「守墓人烟戸」の規定が記されている。
碑文では広開土王の即位を辛卯年(391年)としており、文献資料(『三国史記』『三国遺事』では壬辰年(392年)とする)の紀年との間に1年のずれがあることが広く知られている。
[編集] 辛卯年条の解釈
ここでは倭に関する記述のある二段目の部分(「百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭ロ<耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民」)について通説により校訂し訳す。
- 百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡■破百残■■新羅以為臣民。
なお、「■を渡り」は残欠の研究から「海を渡り」とされていたが異論もある。
[編集] 碑文改竄説
この記述に関しては、1884年に日清戦争中の大日本帝国陸軍砲兵大尉の酒匂景信が参謀本部に持ち帰って解読したいわゆる酒匂本を研究対象にした在日朝鮮人の学者・李進熙、および北朝鮮から日本軍による改竄・捏造説が唱えられたことがある[2]。その主張は、「而るに」以降の「倭」や「来渡海」の文字が、5世紀の倭の朝鮮半島進出の根拠とするために日本軍によって改竄されたものであり、本来は
- 百残新羅舊是属民由来朝貢而後以辛卯年不貢因破百残倭寇新羅以為臣民。
- 百済新羅はそもそも高句麗の属民であり朝貢していたが、やがて辛卯年以降には朝貢しなくなったので、王は百済・倭寇・新羅を破って臣民とした。
という表記であって、「破百済」の主語を高句麗とみなして、倭が朝鮮半島に渡って百済・新羅を平らげた話ではなく、あくまでも高句麗が百済・新羅を再び支配下に置いたとするものであった。しかし、百済などを破った主体が高句麗であるとすると、かつて朝貢していた百済・新羅が朝貢しなくなった理由が述べられていないままに再び破ることになるという疑問や、倭寇を破ったとする記述が中国の正史・日本の日本書紀・朝鮮の三国史記などの記述(高句麗が日本海を渡ったことはない)とも矛盾が生じる。これに対して、高句麗が不利となる状況を強調した上で永楽六年以降の広開土王の華々しい活躍を記す、という碑文の文章全体の構成から、該当の辛卯年条は続く永楽六年条の前置文であって、主語が高句麗になることはありえない、との反論が示された[3]。
2005年6月23日に酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見され、その内容は酒匂本と同一である旨の新聞報道がなされた。さらに2006年4月には中国社会科学院の徐建新により、1881年に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表され[4]、改竄・捏造説が成立しないことが確定した。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 同じく5世紀の建立の中原高句麗碑においては、征服地の新羅の民に読ませるために新羅語の制約を受けたような表記法になっていると言われる。(→李2000)
- ^ 李進熙『広開土王陵碑の研究』吉川弘文館、1972
- ^ 浜田耕策「高句麗広開土王碑文の研究」(『朝鮮史研究会論文集』11、1974)、武田幸男「広開土王碑文辛卯年条の再吟味」(武田1989)
- ^ 読売新聞2006年4月14日
[編集] 参考文献
- 井上秀雄『古代朝鮮』日本放送出版協会<NHKブックス172>、1972 ISBN 4140011726
- 水谷悌二郎『好太王碑考』開明書院、1977
- 武田幸男『高句麗史と東アジア―「広開土王碑」研究序説』岩波書店、1989 ISBN 400000817X
- 武田幸男編集『広開土王碑原石拓本集成』東京大学出版会、1996 ISBN 4130260464
- 李成市『東アジア文化圏の形成』、山川出版社<世界史リブレット17>、2000 ISBN 4-634-34070-4
- 武田幸男編『古代を考える 日本と朝鮮』吉川弘文館、2005 ISBN 4642021930
- 徐建新『好太王碑拓本の研究』東京堂書店、2006 ISBN 4490205694
[編集] 外部リンク
- 浜田耕策「4世紀の日韓関係 七支刀をめぐる日韓関係」(pdfファイル)付録としてpp.63-81.に〈日本における「広開土王碑」研究文献目録〉を掲載