張祚
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張祚(ちょうそ、生年不詳 - 355年、在位353年 - 355年)は中国、五胡十六国時代の前涼の七代威王。字は太伯。
[編集] 生涯
張駿の長男として生まれる。張重華が没すると遺命によって張耀霊の輔政に任じられたが、353年、趙長らと謀り張耀霊を廃し、その王位を簒奪した。
初め涼州牧、涼王を称したが、354年に帝を称し、和平と改元した。
諫言をおこなった馬岌を罷免し、前涼の功臣である謝艾を殺害するなど、残虐な暴政で周囲の反感を買い、355年河州刺史張瓘の宋混らによって殺された。
[編集] 年号
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