御池通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御池通(おいけどおり)は京都市の主要な東西の通りの一つ。
京都市の中心に位置する中京区の中央部を縦断し、川端通~堀川通間は京都市内で最も通りの幅が広く、京都市のシンボルロードとなっている。
平安京の三条坊門小路にあたる。東は川端通から西は太秦の天神川通までの4.9kmであるが、途中二条駅で分断されている。神泉苑の傍を通るため、この名前になったというが、江戸時代初期の1665年(寛文5年)発行の地誌「京雀」には「【三条坊門通】この筋を東にては八幡町通と云、…、西にては御池通と云、此筋室町に御池町あり、むかし鴨居殿とて御所あり、鴨の下居池の井ありける跡也とかや」とある。
今も烏丸御池付近には「御池之町」「龍池町」「二条殿町」の地名が残る。池も含めて二条殿の地は、二条関白家の邸跡で、織田信長の「二条新御所(二条城)」の故地でもある。「御池通神泉苑起源説」は近来興った説で、「二条殿御池起源説」に従うべきだろう。室町御池上ルには「二条殿御池跡」の碑も現存する。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 川端通~堀川通間
第二次世界大戦時に沿道にあった家屋を防火帯として強制疎開させた跡なので、片側4車線の広い通りとなっている。かつて当該区間には側道があり、中央分離帯及び側道分離帯には1953年以降に植樹され大きく成長した212本のケヤキの街路樹もあったが、地下鉄東西線建設工事を控えて1990~1991年に撤去され、梅小路公園へ移植された。
現在では、街路灯、信号機、南北方向の交差道路の標柱などのデザインが統一されている。分離帯を撤去して車道を中央に寄せたことで、歩道が拡幅された。歩道の車道寄りにはケヤキ223本が植え直されたが、以前の立派な街路樹とは比べるべくもなく、成長するには20年以上かかる。市役所前には地下街や地下駐車場が整備されている。
祇園祭の山鉾巡行の経路の一部となっているほか、各種のイベントでは交通規制してパレードなども行われる。
地下鉄東西線の京都市役所前/烏丸御池/二条城前の3つの駅がある。
[編集] 堀川通~二条駅東口間
狭くなり片側1車線である。すぐ北側に並行する押小路通が片側3車線の広い通りになっており、地下鉄東西線もこの区間では北に逸れて押小路通の地下を通っている。
[編集] 二条駅西口~天神川通間
もとは狭い通りであったが、近年拡幅工事が進んで片側2車線になり、押小路通と接続された。
地下では地下鉄東西線の延伸工事が進んでおり、2007年度に開業予定である。西大路駅と天神川駅(駅名は共に仮称)が設置される。
[編集] 沿道の主な施設
[編集] 関連項目
京都市内の東西の通り | ||
---|---|---|
西は 天神川通 まで |
北隣の通り:押小路通 | 東は 川端通 まで |
御池通 | ||
南隣の通り:姉小路通 |