性自認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性自認(せいじにん)とは、人間が有している自己の性別に関する確信である。英語の "Gender Identity" に相当する言葉であり、性自認の他に性の自己認知, 性同一性などの訳語がある。
目次 |
[編集] 概説
人間は、自分の性が何であるかを認識している。多くの場合は確信している。その確信のことを性自認と呼ぶ。通常は身体的性別と完全に一致しているが、半陰陽のケースなどを研究する中で、この確信は身体の性とは別個に考えるべきであると言うことが判明してきた。
そのようなケースに於いては、身体的に男女の中間形態を取ったりあるいは男女両方の特徴を持つ場合がある。では、自分が男性であると考えているのだろうか? 女性であると考えているのであろうか?
彼らの自己の性に関する確信を調べると、それは「男女のうち、より近い方」とも限らず、「染色体の示す性」とも限らず、「どちらでもない」というものであるとも限らず、実に様々な確信を持っていることが分かった。すなわち、身体の性とも染色体型とも別個に「自己の性に関する確信」が存在することが確認され、これは性自認と呼ばれるようになった。
性自認に関わる代表的な障害としては性同一性障害がある。これは、身体的には男女のいずれかに属するにも拘らず性自認が身体的性別とは食い違っている事例をいう。
[編集] 性自認の決定要因
性自認がどのようにして定まるのかについては未解明の部分が多く、定説は存在しない。 大まかに後天説(あるいは社会構築主義)と先天説(あるいは本質主義)に分かれるが、折衷的な説も数多く存在する。
後天説は「生まれたときには人間の性自認は中性である。生まれてから自分の身体の性を認識することと、周囲からその性に応じた扱いを受けることにより男女いずれかに分化する」というものであり、先天説は「脳の中に性自認を形作る仕組みが存在し、先天的に決定されている」というものである。
[編集] マネーと後天説
割礼における事故のために生後まもなくペニスを失った男児に対し、環境要因を重視する性科学者ジョン・マネーは女性器形成・女性ホルモン投与を行って女児として育てさせた。この子ども"ブレンダ"はその後は女性として成長したと報告され、これによって後天説が有力視されるようになった。
しかし、再調査の結果、ブレンダは幼い頃から自分が女性であることに違和感を感じ続けており、最終的に"デイヴィッド"と改名して男性としての性自認を確立したことが判明した。 乳児期からの性器形成・女性ホルモン投与や女性としての教育も女性としての性自認を作り出すことはできなかったことになり、"ブレンダ"は「後天説」の根拠ではあり得なくなった。
更に、マネーがこの事実を知っていたにもかかわらず意図的に隠蔽しようとした疑いがあることも分かった。後天説はマネーが行った幾つかの報告に多分に依っていたため、マネーの信用失墜とともにこの仮説自体を疑う者も出るようになった。
このような例はこれだけではなく他にも同じような事例(反対の性別に再割り当てされた子供が、自分は元の性だと訴える)が見つかっている。詳しくは Reiner,W.G(1999)/The times(London),26 June 2001 "Ethics and gender"等を参照。
[編集] 先天説と逸脱例
一方、脳についての理解が深まるにつれ、男性と女性は生まれつき脳の構造が一部異なっていることが判明した。例えば、人間の性行動に関わりの深い分界条床核の大きさを調べると、男性のものは女性のものよりも有意に大きい。 また、男性から女性へ移行した性同一性障害者6名の脳を死後に解剖した結果、分界条床核の大きさが女性とほぼ同じであった。(Zhou, Hoffman, Gooren, Swaab 1995)
これにより「先天説」、すなわち「性自認の決定は何らかの生まれつきの差異に拠っている」という説が相対的に有力視されるようになった。 これによれば、性同一性障害とは胎児期の性ホルモン異常などにより性自認を基礎づける神経核が正しく形成されなかった症例と解釈できる。
しかしながら、次のように指摘して先天説を疑う意見もある。
- 分界条床核は生まれた時点では性分化しておらず、後天的な経験が脳神経に作用することによって分化するのかも知れない。(Chung, De Vries, Swaab 2000)
- 極めて早い時期からブレンダと同様の処置を施した男児が24歳になっても女性として生活している事例も存在し、これは後天的な環境により性自認が変更された可能性を示唆する。(cf. Bradley, Oliver, Chernick, Zucker 1998)
ただし、生後18ヶ月以降の働きかけによって性自認が変更されたと認められる事例は知られていない。そのため、性自認が純粋に社会や文化の産物であると考えるのも疑わしく、少なくとも性自認が可塑性を失う時期(臨界期)を定める生物学的な機構は存在するのではないかという声も多い。
これに基づいて、次のように先天的・後天的要因の両方を認める複合説を唱える人もいる。
- 性自認は脳の仕組みにより先天的に原型が定まるが、臨界期には個人差があり、その幅は出生前から生後2歳程度に掛けてなのではないか。
- 臨界期に達する前の極めて早い時期であれば外部からの働きかけで性自認を変更できるのではないか。
[編集] ジェンダー形成
性役割やジェンダー・パターンを構築する上で、性自認は重要な働きをする。
性役割やジェンダー・パターンとは、基本的にはその文化において自己の性を適切に表現するための行動様式と見ることができる。そのため、性役割を習得するに当たっては自己の性をどのように考えているか(広義の性自認)が問題となる。従って、多くの場合は性役割やジェンダーパターンは性自認に一致している。
ただし、性同一性障害者の場合は社会適応性の向上のために自己の性自認とは異なった性役割を意図的に選択しようとすることもある。また、性別に応じて異なる性役割が与えられている現状を問題だと考えて、それを訴えるために自己の性自認とは異なる性役割を選択しようとする人もいる。 これらのようなケースでは、性自認と性役割・ジェンダーパターンは一致しない。