惟宗広言
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惟宗広言(これむねのひろこと、生没年不明(?~1172年-1187年~?)は秦氏の後裔。 平安時代の歌人。文章生・日向守の基言の子。妻は比企能員妹(丹後局)とされるが、島津氏の史料にしか出てこない話であり疑問もある。
文章生、大宰少監を務めた後、従五位下筑後守となる。後白河法皇に近仕する。一般的に惟宗忠久(初代島津氏)の父としての知名度の方が高い。実子説と養子説があるが、通字の問題などから実子説については近年疑問視する説が有力である。
- 系図1・ 惟宗具範―惟宗広考―惟宗貴重―惟宗考近―惟宗基言―惟宗広言―惟宗忠久
- 系図2・ 太秦川勝…惟宗真宗―惟宗允亮…惟宗業任…惟宗基言―惟宗広言―惟宗忠久