成漢
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成漢(せいかん 304年 - 347年)は、五胡十六国時代にチベット系氐族の一派である巴賨族(または巴氐とも呼ばれる)の李雄によって建てられた国。
[編集] 経歴
298年、李雄の父の李特(李慕の子)が天水など6郡の流民を率いて蜀に入った。李雄の代に四川を掌握し、皇帝を称し、国号を成とした。
李雄は軍政両面に努め、その治世は比較的安定したので、混乱する華北をしりめに別天地のような繁栄を享受した。李雄の死後、皇位継承争いが起こり、国勢は急速に衰退した。
第3代皇帝・李寿の時に、国号を漢に改めた。しかしこの李寿による暴政で成漢の衰退は決定的となり、李寿の死後、後を継いだ李勢も暴政を行なったため、347年に東晋の桓温の征討を受け、敗れて降り、成漢は滅んだ。
またこのチベット系の王朝は、後世の人によっては「前蜀」或いは「成蜀」とも呼ばれていた。
[編集] 成漢の皇帝
- 武帝(李雄、在位304年 - 334年)「成」(または成蜀)の皇帝と称する。
- 哀帝(李班、在位334年)
- 廃帝(李期、在位334年 - 337年)
- 中宗昭文帝(李寿、在位338年 - 343年)
- 後主(李勢、在位343年 - 347年)
- 中宗昭文帝が、338年に、国号を「成」から「漢」(または前蜀)に変称した。