手塚英孝
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手塚英孝(てづか ひでたか、1906年12月15日-1981年12月1日)は、日本の文学研究者、作家である。
山口県光市に生まれ、旧制徳山中学から慶応義塾大学に進学する。慶応在学中に社会運動に参加するようになり、その後当時非合法だった日本共産党に入党し、文化団体の活動をする。この時期の作品に1932年に発表した「虱」がある。 1933年に検挙され、出獄した後は同じ中学の後輩だった宮本顕治の救援活動をおこない、宮本百合子と協力して獄中でのたたかいを支えた。
戦後、再建された日本共産党に入党し、新日本文学会から日本民主主義文学同盟へと一貫して民主主義文学運動の発展に力をつくした。また、非合法活動をともにした小林多喜二の伝記研究をおこない、1958年に筑摩書房から刊行した『小林多喜二』は、その後も補訂をかさねながら、多喜二の伝記として内外から高く評価された。また、『小林多喜二全集』の編集にもたずさわり、現在のかたちで多喜二作品が読めるようになったのは彼の功績によるところが大きい。
小説家としては寡作であったが、1973年にはほぼ全作品をおさめた単行本『落葉をまく庭』で多喜二・百合子賞を受賞した。表題作は、皇居清掃団の活動に取材したもので、戦後の天皇制をめぐる問題を追及した作品であった。