拾ヶ堰
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拾ヶ堰(じっかせき)は、長野県南安曇郡を流れる灌漑用に作られた用水路である。この堰は、奈良井川(松本市島内)から取水し、烏川(安曇野市)にいたる約12kmの用水路である。疏水百選にも選ばれている。
この用水路のある地域は古くから農業用水に恵まれず、柏原村、吉野村の庄屋などが用水路の建設を計画し、1816年(文化13年)3月から6月にかけて建設したものである。
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[編集] 特徴
- 拾ヶ堰は標高570mの等高線に沿って流れており標高差が非常に少ない。奈良井川の取水口から終点の烏川までの傾斜は約3‰で標高差は約5mとなる。わずかな高低差で留まることなく水を流すために、常に大量の水が流れている。
- 拾ヶ堰に架かる橋を見ると「十ヶ堰」と書かれているところもある。
- 逆サイフォンにより、ラーラ松本付近で梓川の下を潜っている。
- 昔は、梓川を橋で横断していたが悪天候などで度々流されることもしばしばあった。
- そして現在の地下水路式となったのだ。
[編集] 名前の由来
- 拾ヶ堰の名は完成当時に吉野村・成相村・新田村(以上、成相組)・上堀金村・下堀金村(以上、長尾組)・柏原村・矢原村・保高村・保高町村・等々力村(以上、保高組)という10ヶ村を経由していたことによる。ちなみに現在、これらの村は全て安曇野市域となっている。