新納実久
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新納 実久(にいろ さねひさ、生没年不詳)は、室町時代前期の薩摩の人。薩摩守護島津氏の一族である新納氏2代当主。父は初代時久。官は越後守。子に久顕、忠臣(3代)。
新納氏2代当主。初代時久の次男。正平12年(1357年)、日向松尾城で挙兵していた南朝方の楡井頼仲が自刃すると、その後に松尾城へ入る。同年北朝方直義派の畠山直顕の侵攻を受けるも、宗家当主氏久とともに撃退。氏久が志布志城に入ると、ともに大隅の経営にあたった。
永和元年(1375年)、氏久と九州探題として派遣された今川了俊との間で戦が起こると、氏久の指揮の下左翼を任され『月一揆』といわれる陣形を展開し今川軍に対抗。本陣の『小一揆』、右翼の『杉一揆』と連携しつつ、小勢ながらも今川軍を破った。以後この陣形が島津家の基本戦術となる。